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鹿児島地方裁判所 昭和50年(ワ)177号 判決

原告 松元学

〈ほか四四名〉

(別紙(一)当事者目録記載のとおり)

(昭和四八年(ワ)第一五一号事件原告三〇名について)

右原告ら訴訟代理人弁護士 堂園茂徳

同 亀田徳一郎

同 井之脇寿一

同 保澤末良

(昭和五〇年(ワ)第一七七号事件原告一五名について)

右原告ら訴訟代理人弁護士 堂園茂徳

同 亀田徳一郎

同 井之脇寿一

同 保澤末良

同 樋高学

同 蔵元淳

被告 国

右代表者法務大臣 瀬戸山三男

右指定代理人 泉博

〈ほか九名〉

主文

一  被告は、別紙(六)の認容債権額等一覧表記載の各原告に対し、

同表各(一)欄記載の各金員及びこれに対する、原告番号1乃至30の原告に対しては昭和四八年六月二九日から、

原告番号31乃至45の原告に対しては昭和五〇年六月二七日から、

各支払ずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求はいずれもこれを棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その二を原告らの負担、その余を被告の負担とする。

事実

当事者双方の申立、主張及び証拠関係は別紙(二)記載のとおりである。

理由

一  本件水害の発生について

(一)  別紙(四)記載の原告らがその名下の各水田を昭和四七年から五〇年までの間それぞれ所有していた事実はいずれも当事者間に争いがなく、同原告らが右所有権に基づき右各水田をそれぞれ耕作していたものである事実(但し、別紙(四)中原告番号45原告原口正明の(ハ)欄記載の「西山三七〇〇」の土地は除く)は弁論の全趣旨によりこれを認めることができる。

また《証拠省略》により別紙(五)記載の原告らがその名下の各水田につきそれぞれ備考欄記載のとおり所有権(但し所有権移転登記未了)、使用貸借権、賃貸借権、永小作権等に基づき、耕作していたものであることを認めることができ、他に右認定に反する証拠はない。

更に右各水田の存在個所が概ね二図記載の個所であることは、《証拠省略》を総合してこれを認めることができ、他に右認定に反する証拠は存しない。

(二)  しかして、四七年六月一七日から翌一八日にかけての集中豪雨により川内川が氾濫し、それにより本件築地地区の水田の一部が表土の流失、土砂の堆積等の被害(個々の原告の被害及び程度状況は除く)をうけた事実及び同月二七日、七月五日の豪雨により未施工区間からかなりの溢水があり、そのため、右被害が増大したことはいずれも当事者間に争いがない。

二  請求原因二の(一)の1、(1)(2)記載の「川内川の概況とその管理者」についてはいずれも当事者間に争いがない。

三  本件水害発生当時の川内川の状況並びに本件捷水路工事について

(一)  川内川流路のうち菱刈町地先においては特に湾曲、蛇行が著しく、このため洪水流の安全な流下を妨げており、洪水のたびに溢流、氾濫し家屋、耕地等に相当な被害を生じていたのでその被害を軽減するため流路の整正(蛇行流路を直線流路にすることと)、拡幅、築堤、護岸及び築堤に伴なう各種樋管の新設、橋梁の新設改築を施工しようとする捷水路工事計画がたてられ、この計画のもとに二六年度から下流地区より着工し、工事は着々と進められていて、右捷水路工事は屈曲流路延長九・八粁を約半分に短縮して洪水の疎通を図る大規模工事であるので、本件捷水路工事全体の完成は五〇年以降とする予定であった事実、本件築地地区の右捷水路工事は菱刈捷水路計画六個所のうち最上流に位置し、四七年一月から着工し、四九年の出水期までには菱刈捷水路全体の暫定通過を可能にし、当地区一帯の治水効果を発揮させることを目途に工事に努力したが、本件災害発生当時の工事の進捗状況は、工事着手後五か月を経過したばかりで、湯之尾橋直近の下流右岸約一〇〇米(⑩部分)及び未施工区間一二〇米の築堤が未了であった他、捷水路(新流路)についても掘削、築堤の一部が施工されていたにすぎない事実、捷水路工事の方法として、新たに河川敷となる捷水路の水田の部分の掘削を行い、その掘削土を利用して新堤防を構築し、の築堤はその前面(高水敷並びに低水路となる部分)の掘削土等を利用して施工し、右岸の築堤はの掘削土(但しこの部分の掘削度については除く)との掘削土の一部を利用してそれぞれ四七年三月まで(四六年度工事)にの新堤防を完成した事実、本件水害と直接関係の深い湯之尾橋直近の下流右岸約一〇〇米の⑩部分及び未施工区間一二〇米の部分(現況水田のまま)が築堤未了の状態であった事実、四六年八月六日の水害で破堤した旧堤の復旧工事として④付近の旧河岸に蛇籠張を施工した(その天端は従来の旧堤防より約〇・六米高い)事実はいずれも当事者間に争いがない。

(二)  《証拠省略》によると出口橋付近右岸②左岸③の部分、左岸堤上流端付近が築堤未了である事実が認められ、更に弁論の全趣旨により④'の旧堤がまだ開削されていない事実が認められる。

(三)  四七年度、四八年度、四九年度、五〇年度及び五一年度以降の本件捷水路工事の概要については当事者間に争いがない。

(四)  なお、原告らは被告が右の築堤に際し、部分を、改修工事前の旧堤防の背後の水田面より低い所まで掘削した旨主張し、被告は高水敷の高さまでであるとして争うのでこの点について検討するに《証拠省略》によると、の旧堤に接していた水田即ち堤築造後高水敷となった水田の標高(田面高)は一七三米で同じく高水敷となった下流端付近の標高は一七四米であった事実、堤はの旧堤にほぼ併行して構築され、の上流端の左端からの上流端の旧河岸までの距離は約三八米、同下流端付近では両者の距離は旧河岸より約七〇米であって、の形態はやや末広がりになっている事実が認められ、更に《証拠省略》によれば被告は堤築造のための旧堤部分の堤内側より旧川岸寄りに行くに従い右堤内側に接していた水田面より若干低く、旧堤防部分を約一・五米乃至二米程度掘削したことが認められ(る。)《証拠判断省略》

右認定事実によると被告のの掘削は改修工事後の高水敷となるべき部分について標高一七二米乃至一七二・五米の高さまでなされたものと認めることができる。

更に原告らは本件洪水前だけでなく下流端付近の④付近をも被告が掘削した旨主張するが、《証拠省略》によれば下流端付近の排水路出口付近(川内川に接するところ)まで④の旧堤防が存在した事実が認められ、他に④付近の水田部分を掘削したと認めるに足る証拠はな(い。)《証拠判断省略》

(五)  しかして、《証拠省略》によると掘削した旧堤防に併行して構築された新堤防の標高は一七六・五米で長さは三二五米、天端の幅は五米、計画高水位高は約一七五乃至一七五・九五米であることが認められる。

四  本件旧堤防付近の地理的状況について

《証拠省略》を総合すると、伊佐郡菱刈町字川北のいわゆる築地地区を流れる川内川の旧堤防(本件捷水路工事前の河岸で被告が主張する「微高地」に該当する。以下同じ。)の状態は④付近及びの下流端付近で標高一七四米の上流湯之尾橋方向に行くに従って標高一七四米から一七三・七米の高さになっていて、その天端幅は最も狭い上流端付近で約五米、その他の部分はほぼ一〇米乃至一五米位で全体的に多少の高低、広狭の形状を呈し乍ら間断なく連続していて、その旧堤防上には高さ二米乃至三米の竹木が密生、繁茂していたこと、①の未施工区間を通って川内川に注ぐ排水路が存在したが、その両岸の路肩は、川内川と接する出口付近で標高一七四米、①の水田付近に向って次第に低くなりその中間付近では約一七三・八米、①付近左岸で約一七二・一米、同右岸で約一七二・六米であり、①付近の水田面より二、三〇センチメートル(以下「センチメートル」を「糎」とする。)高く、旧堤防と接する付近では水田面より約一米位高く、その上に旧堤防と同様、竹木が密生、繁茂し、その状態が川内川と接する出口付近から①付近まで続いていたこと、右水路の幅は右出口付近で約一・五米、①付近で約六〇糎、その水路底は、右出口付近で標高約一七〇米であること、及び未施工区間に存在した水田は、の旧堤防より約一米前後低く、その標高は約一七三米であり、あぜはそれより約二〇糎位高かったこと、④の旧堤防は四六年八月六日の洪水により破堤したため、その復旧工事により長さ三九米、標高一七四・七米の蛇籠張で護岸がなされていたこと(復旧工事として蛇籠張の護岸がなされた事実は前記のとおり当事者間に争いがない)、

また付近の池之上地区の水田の標高は約一七三米であること、西山地区の部分にも旧堤防が存在していたこと、部分に北東から南西にかけて土手(一図に「土手」と表示)が存在し、その高さは土手の西側の水田より約九五糎高いこと(標高約一七一・九五米)、更に川内川下流端付近から大きく左に湾曲して流下していること等が認められ、他に右認定に反する証拠は存しない。

なお、右旧堤防上の竹木の密生度について、《証拠省略》によれば旧堤防の天端より五〇糎上の地点における竹木の密度は単位面積当り〇・四乃至〇・六パーセントということが認められるが、これは茎のみに関する測定であって、竹木の枝葉の存在や根張りの効用などを一切考慮していないのであるから右のような測定結果が存在するからといって何ら前記認定の妨げとなるものとは思われない。

五  本件築地地区の地形について

《証拠省略》を総合すると、本件築地地区の宮前と御原の小字境に排水路(⑩地点)があり、町口と下東の小字境にも排水路(①地点)がある事実、また住宅地区である宮後と農地地区である中牟田の小字境及び町口と池之上の小字境に沿って水田面より約一・六米乃至〇・六米の高さの農道(付近で標高約一七三・七米)及び灌漑用水路(農道に付設された形で並行して存在している。)があり、その地形は全体として川内川に向って低くなっているとともに町口と下東の小字境及び池之上と古屋敷の小字境に沿って凹地を形成し、町口と下東の境界の凹地は排水路の上流①地点に向って低くなっており、池之上と古屋敷の境界の凹地は下流地側の小字西山に向って低くなっているが全体としては①から西山地区にかけて大きく勾配がついている事実が認められ、他に右認定に反する証拠は存しない。

六  客観的瑕疵の存在

前記三乃至五に記載の川内川捷水路工事によるの旧堤部分の掘削状況(水田面の高さとの関係等)、下流端付近の川内川の流路の形態、本件築地地区の地形、未施工区間(一二〇米の区間)が従前の水田のまま存置されているほか、出口橋付近の右岸②、左岸③の部分、左岸堤の上流端付近が築堤未了のままであり、しかも④'の旧堤防が開削されてなかった状況等を総合して判断すると、被告主張のようにたとえの旧堤防に併行しての新堤防が築造されているとはいえ、の下流端が掘削によって、④の旧堤防(岬状にに接近している)の存在を考慮に入れても、なお約六〇米以上も無堤防の状態であることに鑑みると、川内川が洪水によりその水位が高水敷より上昇するようなことがあれば、掘削されたの下流端を通って未施工区間及び左岸堤の上流端付近、の下流端(左右岸)及び②③の各築堤未了個所から本件築地地区の水田へ多量の水が流れ込み、同地区に災害の生ずるおそれがあることは明らかであり、を掘削除去したうえ、右築堤未了個所が存在すること自体客観的にみて河川が通常有すべき性状を具備していないこと、即ち安全性を欠如しているものというべく、右はまさに本件河川に客観的瑕疵が存在するものといわねばならない。

七  管理の瑕疵の存在

(一)  原告らは毎年梅雨期になると集中豪雨等により川内川が氾濫することは過去の経験に照らし明らかであるから及び未施工区間からの氾濫水の浸入による本件築地地区の水害の危険を予想しうるところであるから、これを予防し、その安全性を保持するためには新堤防が完成してからの旧堤防を除去すべきであるにも拘わらず先にの旧堤防を掘削、除去しながら未施工区間を残して前記氾濫水のおそれがある危険な状態を作り出したまま放置した。と主張するが、およそ河川管理のために河川のどの地点にいかなる時期にいかなる管理施設を設置し或は河川改修工事をして、いかなる施工方法、施工手順によるかは、河川管理者がその河川の特性、河川工事の経済性等あらゆる観点から総合的に判断して決めるべきであり、単に特定の地点に河川が氾濫して災害の生ずるおそれがあるとか、災害が生じた事実があるということから直ちに河川管理者に右地点に堤防を築造する等の法的義務があるとはいえないのであって、河川管理者にそのような義務があるというには、前述のようにあらゆる観点から総合的に判断して河川管理上、その地点に河川管理施設を設置することが必要不可欠であり、且つその施工方法、施工手順において流水を安全に下流に流下させ、付近の農地や住宅を水害から守るために必要不可欠であることが明らかであり、これら必要な施設の設置をなさず、或は工法上著しく不合理なもので、それがわが国における河川管理の一般的水準及び社会通念に照らして河川管理者の怠慢であることが明らかであることを必要とするといわなければならない。

ところで、被告は未施工区間を残したことにつき合理的理由があり、何ら自然公物としての河川の設置管理に瑕疵がなく、またに存在する微高地(旧堤防)を掘削除去した点についても同様、管理の瑕疵があるとはいえず、右掘削、除去と本件水害発生との間には何ら因果関係がなく、の微高地(旧堤防)に代るべきものとして十分な強度性を具備した新堤防を構築したので、その存在により本件築地地区への浸水量はむしろ少くこそなれ、多くなったとはいえない旨主張するので、以下この点につき判断する。

(二)  本件捷水路工事と未施工区間の存置について

本件捷水路工事は前記三の(一)乃至(三)の事実によると、菱刈捷水路計画に基づき川内川の屈曲流路延長九・八粁を約半分に短縮して洪水の疎通を図ることを目的として、二六年度から、流路の整正拡幅工事の性質上下流地区より着工を開始し、工事全体の完成は五〇年度以降となる予定の長期計画の大規模工事であることが認められ、本件築地地区に関しては四七年一月河川敷となる水田の一部を買収して工事を開始し、同年三月までには既にの新堤防を完成していたものの(前記のとおりこの事実は当事者間に争いがない)、⑩は用地買収未解決のため、②、③は出口橋橋梁工事のため、未施工区間は排水樋管設置工事のため、などの理由により右時点で未だ完成をみない(証人西村正登の証言によりこの事実を認む)のであるが、右未施工個所のみならず⑤、⑥、堤左岸の上流端付近、の左岸、右岸の各下流端付近等随所に未施工個所が存在するのは本件捷水路工事の性格、規模、財政的制約などからみて一応やむをえないものということができる。

(三)  旧堤防の効用について

に存在した旧堤防(被告の主張する微高地)について、被告は本来堤防として何らの効果がなかったので、その掘削と本件水害の発生との間には因果関係がない旨反論するので、この点について以下判断する。

1  本件洪水時の雨量並びに水位について

《証拠省略》を総合すると、四七年六月一七日、一八日の栗野観測所での雨量は最高一時間六七・五ミリメートル(以下「ミリメートル」を「粍」とする)、総雨量二九五・五粍、の下流端から上流五五〇米の地点の湯之尾橋にある菱刈観測所の水位計による川内川の最高水位は同年六月一八日一一時に五・四四米(標高一六八・七米が同水位計の零米であるから標高一七四・一四米に相当する)を記録し、同年同月二七日の洪水の時は最高雨量は栗野観測所で一時間八〇粍、最高水位は菱刈観測所で同日一八時に五・一〇米(標高一七三・八米)を記録し、更に同年七月五日の洪水時の最高雨量は栗野観測所で一時間三五粍、最高水位は菱刈観測所で同日二四時に五・三二米(標高一七四・〇二米)を記録している事実が認められ、他に右認定に反する証拠は存しない。

2  四六年八月六日の洪水時の最高水位について

四六年八月六日本件築地地区を流れる川内川に洪水があった事実は当事者間に争いがなく、その時の降雨量については、《証拠省略》によると菱刈観測所での川内川の最高水位は四六年八月六日一時に六・一〇米(標高一七四・八米)を記録している事実が認められ、他に右認定に反する証拠は存しない。

3  四七年六月一七日、一八日の水害の状況及び程度について

四七年六月一七日から翌一八日にかけての集中豪雨により川内川が氾濫し、それにより築地地区の水田の一部が表土の流失、土砂の堆積等の被害(個々の原告の被害の程度は除く)をうけたこと及び同年六月二七日及び七月五日の豪雨により未施工区間からかなりの溢水があり、そのため右被害が増大したことは前記一の(二)のとおりいずれも当事者間に争いがないところであり、右六月一七日、一八日、同月二七日及び七月五日の三回に亘る本件洪水による被害水田の表土の流失並びに埋没の程度及び状況については、《証拠省略》を総合すると、被害水田の表土の流失で最も被害の大きかったのは農道並びに灌漑用水路の決壊個所付近で、その深さは二・二米から六米に及ぶところがあり、浅いところでも一・四米位表土がえぐりとられており流失個所の中には池のように水がたまっている所もあり、また埋没個所でも最も被害の大きいところは土砂の堆積により田植をした水田は、その跡かたもなく一面砂漠のような状況を呈している事実が認められ、他に右認定に反する証拠は存しない。

4  四六年八月六日の水害の状況及び被害の程度等について

《証拠省略》を総合すると本件築地地区は洪水の常襲地帯であって過去梅雨期には毎年の如く川内川の氾濫があり、そのために水田の冠水等の被害が殆んど毎年発生していたが、浸水の状況は流速が弱く、且つ水位の上昇も徐徐に進行し、緩やかであったため、少しづつの被害はあったが、本件のような被害は始めてであることが認められ、たとえ水田が冠水しても大体四時間位で水は自然にひいていたし、どんなに長くとも一両日で水がひいていたこと、また水がひいたあとは場所によっては土地が肥沃になり冠水により爾後の耕作にさほど悪影響を及ぼすことがなかったこと、川内川の増水氾濫は近年においては四二年に二回、四四年に二回、四六年に一回(同年八月六日)と五回あったが、そのような場合河川水が⑩或はの下流端付近の排水路から水田へ逆流することはあったが、その増水の程度はいずれも河川水の上昇分だけ排水路に自然増水し水田が冠水する程度であったこと、四六年六月八日の洪水時には本件洪水時よりも六六糎も水位が高く④付近の堤防が決壊したにも拘らず、本件築地地区の被害は、部分の農道の決壊により、その付近の田に被害があった程度に止まり、西山地区の水田近くの堤防は決壊せず、他に目立った損害も生じなかったことなどが認められ、他に右認定に反する証拠は存しない。

以上認定の本件洪水時の最高水位及びその被害程度と四六年八月六日の最高水位及び被害程度とを比較してみると、四六年八月六日の洪水時には本件洪水の最高水位五・四四米(標高一七四・一四米)よりかなり高水位(六・一〇米=標高一七四・八〇米)の出水があったにも拘らず、実際に発生した被害は本件の場合より極めて軽微であることが認められる。

右にみた如く本件洪水時との旧堤防掘削前の四六年度の洪水時とにおいて出水の程度にかなりの差があるにも拘らず被害程度において大きな差がみられたということはやはり旧堤防の存在が大きな役割を果していたものと認めざるをえない(被害の大小についての原因の詳細は因果関係のところで更に後述する)。

即ち、前記四に認定のの旧堤防は一番高い所でも標高一七四米位であるから、前年度の洪水の場合でも優に河川水が氾濫する状態にあったことは明らかである。けれども旧堤防は多少の高低を有しながらも幅五米乃至一五米の天端には竹木が密生していたので、水量においては天端を溢れておりながら、根張りで地固めされた竹木等の存在により流速が弱められ、堤内地(水田)への流水を緩やかなものにしたものと認められ、右の旧堤防は水害発生に対してかなりの効用を発揮していたものであることは否定できない。

もっとも、《証拠省略》によれば四六年八月六日の洪水の際④部分の旧堤防が流失(決壊)したことが認められるが、これは前記認定のように同年八月六日の洪水の最高水位が本件のそれよりも六六糎も高く、河川の流路が④部分の前面において大きく左に湾曲していることなどから、同部分に対して流水の衝撃がかなり強かったことが窺えるのであって、かかる事情によって同部分が決壊したのであって、それだからといって旧堤防の効用に関する前記認定を左右するものではない。

(四)  捷水路工事の手順について

前記三の(一)、(二)の事実並びに《証拠省略》によると捷水路工事は上流から川幅を広げると下流が溢れることになるので、下流から施工するのが一般的工法であること。の掘削、の築堤及び未施工区間の築堤と樋管の設置についてはどちらを先にするという原則はないが掘削築堤の方がいくらか効率的であるので、被告としてはの掘削によって河積を増大させると同時に築堤を実施するという工法を採用し、掘削築堤を先に施工したこと。この際、被告はの旧堤防を本来堤防としての機能を有しないものとみて、これを掘削除去してもそれに代るものとして十分な高さと強度を具備した新堤防を背後に築造しているので旧堤防を残す必要がないものと判断して右工法を採用しの掘削除去を未施工区間の築堤完成に先行させたものであることが認められ、他に右認定を左右するに足る証拠は存しない。

しかしての掘削、除去と堤の築造の時期が四七年一月から同年三月までの間になしたものであることは前記のとおり当事者間に争いのないところであるが、問題は右工事の手順及び時期について合理性があったかどうかである。

およそ、ある地区の河川改修を行なうに当っては、その地区の水害歴やその地区あるいは上流下流の地形的特性等を考慮して適切な計画を立てる必要があり、これをよく検討して得られる当該地区あるいはその上下流の危険の態様、程度等は改修計画策定上の重要な参考資料となるものであると同時に、また当該計画の当否を検討する際の重要な資料となるものである。

ところで、本件築地地区は水害の常襲地帯であり、特に梅雨期には過去幾多の出水をみたことは既に述べたとおりであるから、右時期を最も安全な状態にもっていくように工事計画を立てるのは当然であるのに、右危険な梅雨期を前にしての旧堤防を掘削除去してしまったことは適切でなかったといわざるをえない。

即ち、被告は四六年度の改修工事として捷水路のの掘削を行ない、その掘削土を利用して左右岸のの築堤を施工し、左右岸のの築堤をその前面(高水敷並びに低水路となる部分)の掘削土等を利用して施工し、右岸の築堤を前面の掘削土と捷水路の掘削土の一部を利用してそれぞれ、四七年三月までに完成したが、四七年度の工事予定の構築物である樋管①⑤、橋梁②③(出口橋橋台のみ)、捷水路の低水護岸、湯之尾橋直近の下流右岸⑩、①の築堤及び湯之尾橋上流左岸⑤の築堤を施工することになっていて、これらはいずれも四八年三月までに完成することになっていた(この事実は当事者間に争いがない)。

従って、被告にとってはの旧堤防を掘削除去する時点において、未施工区間及び左岸堤の上流端付近、の下流端(左右岸)及び②③の各個所がその年の梅雨期までには完成しないことが計画上明白であったにも拘わらず、敢えて旧堤防の効用がないという判断のもとに先に掘削除去してしまった。

しかるに、その反面では《証拠省略》を総合すると四六年八月六日の出水で決壊した④の旧堤防に蛇籠張りを施工し(右検証調書添付写真(七)参照)、水衝部に当る同地点の危険性の認識の上にたって旧堤防の補強工事をしていること、④の下流が大きく湾曲している本河川の旧堤防左岸のいずれも水衝部に当る内古川、麓、荒田地区及び東水流地区の決壊部分に蛇籠張の施工がなされていることが認められ、右事実によれば、被告自身本訴においては旧堤防の存在価値を低く評価し乍ら、一方においては右認定のように水害発生の危険に備えて旧堤防に蛇籠張りの補強工事をするなどして、旧堤防の保持、保全に努めていることが明らかであり、また被告が未施工区間を一二〇米残したことの理由として出水期にこの区間から洪水の浸入することが考えられると自認している事実等を総合すると、被告は既に右の掘削当時、当該地区付近が出水時に水害発生の危険性の大きい個所であることは十分認識していたものと認めることができる。

また、掘削後の四七年四月頃水害発生の危険性を感じた築地地区住民及び菱刈町が事後措置の陳情をした(陳述内容はともかくとして少くとも二回陳情があったことは当事者間に争いがない)のに対して、被告は、右陳情は未施工区間全体の締め切りではなくの下流端から排水路までの間を排水路肩高位の高さに盛土してほしい旨の内容であったと主張し、《証拠省略》中それにそう供述も認められるが、工事施工者は、工事の専門家であるから、たとえ住民の陳情に適切を欠いたところがあったとしても、それを善解し、適切な対処方策を検討してもよかったにも拘わらず、右陳情の場所に右陳情程度の盛土だけでは出水時に何の役にもたたないから、何の措置も講ずることなく放置した事実が認められ、本件災害後僅か一か月余りの工期で④に仮締め切り堤を築き(この事実は当事者間に争いがない)、引続いて①に仮堤防を構築している(この事実は《証拠省略》によって認める)事実からみても、右陳情を受けた時点で何らかの措置を講ずることも可能であったと考えられるし、またそれからでも遅くはなかったと思われるような事情も存在する。

(五)  右認定の諸事実等に照らし、被告は河川の管理者としての旧堤防掘削時において既に右個所を掘削することは、①の未施工区間が一二〇米も無堤防の状態にあることのほか、出口橋付近右岸②左岸③の部分、左岸堤の上流端付近が築堤未了のままであり、更に新流路下流の<4>’の旧堤防が開削されずに残されている状態にあり、流水を安全に流下させることができない客観的状態にあるから、下流端からの溢流水が右築堤未了個所から本件築地地区へ流出して水害が発生する危険性のあることは十分認識しえたはずであるといわなければならない。

そうだとすれば被告は、①の未施工区間と④付近に仮締め切り工事をした後にを掘削除去するか(このことによる手戻工事の不経済性は本件のような大工事に伴なう沿岸地区への水害発生の危険を最小限度にくい止めるためには或程度やむをえない)、或は前記築堤未了個所(①の未施工区間を含む)の築堤並びに新河川開通後にの旧堤防を掘削除去すべきであったのに、の掘削土利用による堤の築造という経済的利益を重視するのあまり、工事計画上、未施工区間等が多数残ることが判っており乍ら、敢えての旧堤防の掘削除去を先行した点において、河川の管理者として、その安全性に対する配慮を欠如していたものと認めざるをえない。

従って、本件水害発生当時、①の未施工区間並びに前記各築堤未了個所等が残る状態で、被告がを掘削し、除去したことは、出水時に最も危険性の高い水衝部付近を人為的に無堤防の状態にして放置したことになり、かかる形状は河川が通常有すべき性状を具備していたものとは到底いえず、安全性を欠如していたものとして、その設置、管理に瑕疵があったことは明白である。

八  管理の瑕疵と本件水害発生との因果関係

(一)  本件水害による原告らの被害について

前記認定の本件原告らの耕作していた各水田の存在個所は、四七年六月一七日、一八日、二七日、七月五日の豪雨により右水田の一部が表土の流失、堆積等の被害をうけた事実は当事者間に争いがなく、右争いのない事実と、《証拠省略》を総合すると、二図に赤色で表示している水田が埋没を、青色で表示している水田が流失の被害を受けたものである事実、同赤色、青色で表示されたそれぞれの水田に記載の氏名がいずれも被害者である原告名である事実が認められ、他に右認定に反する証拠は存しない。

右認定事実によると、二図に赤色で表示された水田に氏名を記載された原告らがそれぞれ耕作していた水田の埋没、同じく青色で表示された水田に氏名を記載された原告らがそれぞれ耕作していた水田の流失の各被害を受けたものである事実をそれぞれ認めることができる(但し右赤色部分中、別紙(四)の45の(ハ)の土地は除く)。

(二)  本件水害の発生原因について

まず、四七年六月一七日、一八日の本件水害発生原因を本件捷水路の右岸についてみるに、用地買収未解決により、築堤未了となっていた湯之尾橋直近の下流右岸約一〇〇米の⑩部分からの氾濫水の流出、並びに下流端付近からの氾濫水が未施工区間、②、及びの下流端の各築堤未了個所等から本件築地地区の水田へ流出したものであり、つぎに左岸についてみるに、下流端付近からの氾濫水と④の旧堤防付近からの氾濫、溢流水が合流しての上流端付近及び③の各築堤未了個所等から本件築地地区に流出したものであり、更に西山地区については右のほかの決壊(この事実は当事者間に争いがない)による同所からの氾濫水も原因となって本件水害が発生したものであることは既に認定した本件築地地区の地形及び本件洪水の規模(四七年六月一七、一八日の総雨量二九五・五粍、水位五・四四米=標高一七四・一四米)並びに《証拠省略》からみて明白である。

また、四七年六月二七日及び七月五日の豪雨により下流端付近等から溢流水によって右水害の被害を増大させたことは前記のとおり当事者間に争いがない。

(三) の掘削、除去と本件水害発生との相当因果関係の存否について

1 の旧堤防の効用については前記七の(三)で認定のとおりである。

2  つぎにの旧堤防が掘削、除去されずに存置していたならば果して右(一)のような被害は生じなかったであろうか、以下この点について検討する。

既に認定の本件捷水路工事の進捗状況、四六年八月六日の洪水時の諸状況並びに本件洪水時の最高水位等を総合すると、四六年八月六日の洪水時(水位六・一〇米=標高一七四・八〇米)には、本件築地地区に未だ本件捷水路工事が実施されていなかったため、洪水はまず⑩と①部分の排水路から水田に流出し、ついで水位が或程度上昇し、旧堤防の高さ位に達すると旧堤防の低い個所から順次溢水し、徐徐に流出していたため、流量や流速において大被害をもたらす程度のものではなかったが、本件四七年六月一七日、一八日及び七月五日の洪水時(最高水位五・四四米=標高一七四・一四米)においては、川内川沿岸の状況が前年度(四六年八月六日)の洪水時と異なりに併行して新堤が築造され、更に下流の両岸には各堤が築造されているため、従前であればの旧堤防を溢れた水は徐徐に周辺地区の水田へ流出していたものが、右築堤により流出個所がなくなった水はそのままの下流端付近まで流下し、①の未施工区間や左岸の上流端付近、②、③及びの下流端付近等の各築堤未了個所などから一気に本件築地地区へ流出することとなるため(もっとも⑩及び①の排水路からの流出関係は右認定とほぼ同様である)、いきおい、水量、水速が増加し、激流となって水田へ流出する事態が生じる結果となり、他方、右出水時における本件築地地区の水田は丁度、、田植時期であって田に水があり、土はやわらかく耕した状態であったこと(《証拠省略》によりこの事実を認む)、及び既に認定した、本件築地地区の地形、並びに、の農道及び灌漑用水路が決壊、流失したこと(《証拠省略》により右事実を認める)、と相俟って、新堤が築造されていなかった四六年八月六日の洪水期(前記認定のとおり本件洪水時より水位が高いけれども被害が軽微であった)に比し、異なる類形の被害が発生したであろうことが容易に推認しうるところであり、このことは、たとえの旧堤防が掘削、除去されずに存在していたとしても、本件四七年六月一七日、一八日及び七月五日の洪水時の最高水位との旧堤防の高さからみてやはり本件築地地区に被害が生ずることは否定できない。

しかし乍ら、同年六月二七日については、右旧堤防が存在すれば、その時の水位等から推して、かかる被害が生じたか否か甚だ疑問である。

3  しかして、本件洪水時に、右未施工区間その他の築堤未了個所が存在することについては、既に認定した如くその合理性が認められるから、同所からの氾濫を原因とする原告らの被害及び右、、の諸事情に基づぐ被害の増大が被告の管理の瑕疵とは関係がなく、いわば一種の自然現象或は不可抗力によるものというべきであるから、何ら被告の責に帰すべきものということはできない。

4 の掘削、除去と原告らの被害との相当因果関係について

ところで、の掘削除去が原告らの右2の被害を拡大させる原因になっているか否か、もし拡大の原因になっているとすれば、それによる損害と被告の本件河川管理の瑕疵との間に相当因果関係があるものということができる。そこで以下この点につき検討する。

前記八の(一)記載の原告らの耕作水田の埋没、流失の個所を《証拠省略》を対比してみると、⑩付近からの浸水地域である御原地区及び宮前地区では災害復旧工事の対象区域となっていない(《証拠省略》の青色部分がそれである)にもかかわらず、堤(右岸)並びに②の築堤未了個所及び堤(右岸)の北側にそった町口(標高一七三・五米)、古屋敷(標高一七二・六米)、池之上(標高一七三乃至一七三・三米)、西山(旧河川付近の標高一七一米)の地区の被害が(前記七の(三)の3に認定のとおり)何れも流失或は埋没の大被害を受けている事実が認められ、他に右認定に反する証拠は存しない。

右認定事実と前掲《証拠省略》を総合して右両地域の被害に差異の生ずる原因につき検討するに、⑩及び堤の河川側には旧堤防が掘削、除去されずに存置されたままの状態にあった(前記《証拠省略》により認定)ため、上流からの流下水が同旧堤防を氾濫する状態に達するまでは一部排水路からの流出はあるものの、右旧堤防が右流下水の水田への流出を妨げる作用をしていたものと認められ、また右旧堤防を氾濫する状態に達した後も⑩部分では流水の方向が下流に向って流下するのではなく、横に流出する形態になっていることもあって、右旧堤防の存在が同部分における氾濫水の流勢、流速を緩和する役割を果していたものと認められるのに対して未施工区間付近は現況水田のままであり、その内側(新河川敷側)は既に認定した如く、新堤にそった河川側、幅約七〇米余に亘り掘削(その掘削度はさきに認定のとおり)された下流端に接していて(この付近の状況は《証拠省略》参照)同所付近はあたかも無堤防の状態にあるため、堤にそって流下した川内川本流の水は、まず早期には排水路から水田へ溢流したことが考えられるが、水位の上昇に伴ない相当の流速をもってそのまま激流となって未施工区間から氾濫、溢流して本件築地地区へ浸水し、その浸水した水は本件築地地区全般に広がることなく(右岸)及び(右岸)の北側の町口、古屋敷、池之上を経て最も低い西山地区へ浸水し、右地区があたかも洪水の流路となっている(前記認定の被害程度よりみて右の事実が窺える)こと並びにの農道及び灌漑用水路の決壊、更に前年度の出水時にもは決壊したが大した被害がなかったこと(既に認定すみ)などからみて、今回の洪水における未施工区間からの浸水状況の強烈さを物語るものということができ、また下東及び出口地区の埋没、流失の被害についてもを氾濫、溢流した川内川本流の水はの下流端付近及び④の旧堤防を溢れた水と合流して激流となって早期に新河川敷に浸入、流出したことが原因となっているものであることは既に認定したとおりである。当地区においては④の旧堤防が前年度の破堤による復旧工事により蛇籠張を施し、補強されているため、もし仮にの掘削がなければ、水位が及び④の旧堤防を氾濫する段階に達するまでは新河川敷(捷水路)内に上流からの流下水が流出することはなかったであろうことは明らかであるところ、の掘削除去により、右④の旧堤防の氾濫が起きる前の早期段階において、既に大量の水が新河川敷に流出し、左岸堤の上流端及び同下流端の各築堤未了個所から下東、出口地区の水田に流れ、同地区水田の被害を拡大させたものであることは否定できない。

以上により明らかな如く、の旧堤防が存在しておればたとえ新堤築造により洪水の流出個所が前記認定のように未施工区間及び各築堤未了個所等からの集中流出という状況の変化(四六年度の出水に比し)があったとしても、本件のような大きな被害を生ずることはなかったであろうことが認められる。

かかる結果が生じたのは未施工区間その他の築堤未了個所を残したままの状態でを掘削除去したことが原告らの被害増大の原因になっているものといわなければならない。

よって、右の限度で原告らの被害と被告の河川管理の瑕疵との間に相当因果関係があるということがいえる。

この点の掘削、除去が本件の水害発生原因ではないとする《証拠省略》は前記各認定の諸事実に照らしにわかに措信できない。

5  原告らが本件洪水により、それぞれ耕作中の水田の埋没、流失等の各被害をうけたことは既に認定したとおりであり、右被害の発生原因としては、既に認定したような、本件洪水時の水位(旧堤防を超過)、、本件築地地区の水田が当時丁度田植時期にあって田には水があり、土はやわらかく耕されていたことや、、本件築地地区の地形、、の農道及び灌漑用水路の決壊、流失、、の西山地区の旧堤防の決壊等の他、、本件未施工区間その他の築堤未了個所の存在等、不可抗力によるべきものが主たる原因ではあるけれども、被告の川内川の管理の瑕疵が右原告らの被害拡大の原因となったことも既に認定したところである。

しかして、右両者の被害発生に対する寄与度について、その割合を検討するに、前記認定の乃至の諸事実その他、諸般の事情を総合して四七年度及び四九年度の被害に関しては不可抗力によるものが七割、被告の管理の瑕疵によるものが三割と認めるのが相当であり、四八年度に関しては《証拠省略》を総合すると同年度は菱刈地方一帯にいもち病が発生し、本件水害のあった築地地区と他地区との間にその減収量においてさほどの差がなく、原告らの同年度の減収がいもち病も一因をなしている事実が認められ、他に右認定に反する証拠はなく、右認定の原告らのいもち病による減収と被告の河川管理の瑕疵との間には何ら相当因果関係があるとは認められない事実等、諸般の事情を総合考慮すると、同年度の被告の責任限度は二割と認め、不可抗力によるものが八割であると認めるのが相当である。

九  不可抗力の主張について

被告は、本件の被害は不可抗力によるものである旨主張するが、被告主張の如く、前記のとおり不可抗力的な面も全く否定するわけではないが、前記八に認定説示のとおり、被告の管理の瑕疵が原告らの被害拡大の原因となっている以上、その限度において右主張は理由がない。

一〇  被告の責任

以上のとおり本件水害発生当時、川内川の管理に瑕疵があり、かつ右瑕疵と本件水害発生の間に前記八に認定したとおり相当因果関係が認められる限度において、本件川内川の管理主体である被告国は国家賠償法二条一項により原告らが、右水害により被った後記損害を賠償する義務のあることは明らかである。

一一  原告らの損害

(一)  原告らが耕作していた水田(耕地面積が別紙(三)個人別災害明細表記載のとおりであることは前記のとおり当事者間に争いがない)が本件洪水により流失、埋没等の被害をうけたことは既に認定したところであり、原告らが何らかの米の減収による損害を被ったこともまた弁論の全趣旨により認められるところである。

従って、以下原告らの損害額について検討する。

農業災害補償法(以下単に補償法という)によれば、耕作地の一筆毎の基準収穫量(予想収穫量)の三割以上の減収があった場合に、その三割を超える減収量に対して、所定の共済金が支払われるものであるところ(同法一〇九条参照)、まず各原告につき、各耕地毎に補償法による共済金の支払われた土地については右共済金の額(別紙(六)認容債権額等一覧表(三)に記載のある原告らに同記載の金額が支払われた事実はいずれも当事者間に争いがない)と《証拠省略》により認定しうる各原告の各耕作地毎の予想収穫量とを総合すると、各原告らの各年度別、各耕作地毎の減収量は別紙(六)認容債権額等一覧表(二)A欄記載のとおりであることが認められ、また前記共済金の支払のない土地については、《証拠省略》により、前同様、同別紙同欄記載のとおり各原告らの各年度別、各耕作地毎の減収量が認められ、右認定に反する《証拠省略》は《証拠省略》に照らして、また、《証拠省略》中、減収量に関する部分は《証拠省略》に照らして、いずれも措信し難(い。)《証拠判断省略》

しかして、《証拠省略》によると原告ら主張の三等米での政府買上げ価格は四七年度が一瓩当たり一四八・六六円、四八年度が一瓩当たり一七〇・九六円、四九年度が二二五・五一円であることが認められ、他に右認定に反する証拠はなく、右認定の単価をもって前記認定の減収量により、原告らの年度別各損害額を算定すると別紙(六)認容債権額等一覧表(二)A欄下段記載のとおりとなる(以上は四七、四八年度の損害額の認定であり、一部四九年度分を含む)。

なお、別紙(三)個人別災害明細表中原告番号45原告原口正明の被害水田(3)記載の「西山三七〇〇」の土地は証明部分について成立に争いのない甲二号証によると地目が畑であることが認められるが、右土地に対する損害についてはこれを認めるに足る証拠は全く存しないので、同原告の右土地についての損害を認めることはできない。

つぎに、四九、五〇年度分の原告ら主張の損害については、既に認定のとおり、本件水害がこれまでにない程の大きなものであったが、災害激じん法の適用(国費負担九四・五パーセント、町費負担二・七五パーセント、個人負担二・七五パーセント)により、ブルドーザー使用による大大的な復旧工事がなされ、四八年度には既に耕作がなされていることは《証拠省略》により認められるところであり、同年度の被害状況が菱刈地方一帯に発生したイモチ病による減収量も含めて、共済金を受領している災害耕地を除き、ほぼ予想収穫量の二割乃至二割五分程度の減収に止まった事実(この事実は《証拠省略》によって認める)に鑑みると、前記の如くブルドーザー使用による或程度の土質の低下等も考えられなくもないが、一部四九年度の減収による共済金の支払われた二、三の例を除き、他に四九、五〇年度までなお、原告ら主張のような本件水害による減収の被害が残っていたと認めるに足る証拠がなく、他にこれを認めるに足る証拠は存しない。

《証拠判断省略》

(二)  復旧工事費負担金について

《証拠省略》を総合すると別紙(六)認容債権額等一覧表(二)B欄記載の金額を各原告らが負担支出したものである事実が認められ、他に右認定に反する証拠はない。

よって、右(二)B欄に記載のないものについては工事費を負担したものとは認め難い。

しかして、右工事費負担金の支出は右原告らの四七年度の損害であると認めるのが相当である。

(三)  慰藉料について

本件水害による損害はすべて耕作地に対するものであり(財産的損害として金銭的評価が可能であるから、右財産的損害の他に慰藉料を認める特段の事由がないので、原告らの同請求はこれを認容することはできない。

(四)  農業共済金の支払いについて

被告主張の原告らが、本件水害により被った米の減収損害に対し、補償法により共済金が支払われていること及びその金額についてはいずれも当事者間に争いがない。

ところで、被告は、右共済金の支払により原告らの損害が填補されたから、もはや損害がない旨主張し、右原告らは、右共済金はすでに払込んだ共済掛金の対価たる性質を有するものであって加害行為によって得た利益でないから、右共済金を賠償額から控除することはできない旨主張している。

そこで判断するに、四七年の補償法の改正前の損害については、後述のように原告らの認定損害額から差し引く要をみないが、改正後である昭和四八年度以降の損害については、同法一〇三条、商法六六二条により、共済金支払いの限度で原告らの損害賠償請求権は農業共済組合に移転するので、これを原告らの損害額から控除する必要があり、右控除すべき共済金受領額は別紙(六)認容債権額等一覧表(三)欄に記載のとおりである。ところで、法律改正前の四七年度の損害に対して支払われた共済金は補償法による農業共済組合の加入組合員がすでに払込んだ共済掛金の対価たる性質を有するものであって、加害行為によって被害者が得た利益ではないから、損害相殺の理論によっては共済金を賠償額から控除することができないのは明らかである。

また、共済金の支払について商法六六二条(保険者代位の規定)の準用乃至類推適用については商法六六二条の規定はもともと政策的な規定であって、明文の準用規定のない限り、原則として準用乃至類推適用はなされるべきではないところ、旧補償法上家畜共済や任意共済についてはそれぞれ明文(同法一二〇条、一二〇条の三)をもって商法六六二条の規定を準用しているのに、農作物共済についてはこれを殊更区別してあえて明文の準用規定を置いていなかったことに徴し、旧補償法は農作物の共済金の支払に商法六六二条の準用はもとより類推適用も予想していなかったと解するのが相当である。

従って、明文の規定のなかった四七年度の分については、以上いずれの点からみても前記原告らの受取った四七年度の共済金を米の減収損害に対する賠償金から差引くべき理由は認め難いから、被告の前記主張は失当である。

(五)  以上により、原告らの本件水害による損害はつぎのとおりとなる。

即ち、原告らの四七年度の認容債権額は、別紙(六)認容債権額等一覧表(二)A欄(イ)下段記載の金額(四七年度の損害額)に前記(二)で認定の復旧工事費負担金(右一覧表(二)B欄記載の金額)を加えた額のうち、前記認定の被告の責に帰する管理の瑕疵と相当因果関係にあると認められる範囲内の三割相当額が右一覧表(四)A欄(イ)欄記載のとおりであり、同四八年度の認容債権額は、右一覧表(二)A欄(ロ)下段記載の金額(四八年度の損害)から前記(四)で認定の共済金(但し右一覧表(三)記載の四八年度の共済受領金)を控除した額のうち、右被告の責に帰する管理の瑕疵と相当因果関係にあると認められる範囲内の二割相当額(四八年度は既に認定のイモチ病による減収分を考慮している)が、右一覧表(四)A欄(ロ)欄記載のとおりであり、同四九年度の認容債権額は、右一覧表(二)A欄(ハ)下段記載の金額(四九年度の損害)の被告の責に帰する管理の瑕疵と相当因果関係にあると認められる範囲内の三割相当額が右一覧表(四)A欄(ハ)記載のとおりであり、右(四)A欄(イ)、(ロ)の合計額または同(イ)、(ロ)、(ハ)の合計額が同表(一)欄記載の認容債権額である。

一二  しかして、別紙(一)の1乃至30の原告ら(昭和四八年(ワ)第一五一号)の各訴状が四八年六月二八日に、同31乃至45の原告ら(昭和五〇年(ワ)第一七七号)の各訴状が、五〇年六月二六日にそれぞれ被告に到達したことは本件記録により明らかである。

一三  結論

(一)  以上の次第であるから、被告は別紙(六)の認容債権額等一覧表記載の各原告に対し、同表各(一)欄記載の各金員及びこれに対する前記各訴状送達の日の翌日から支払済みにいたるまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務がある。

(二)  よって、右(一)項掲記の原告らの被告に対する各請求は同項記載の限度で理由があるからこれを認容し、その余はいずれも失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

なお、仮執行の宣言の申立は、必要がないものと認め、これを却下する。

(裁判長裁判官 大西浅雄 裁判官井垣敏生は転補のため、同成毛憲男は退官のためいずれも署名押印できない。裁判長裁判官 大西浅雄)

〈以下省略〉

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